公開日: 2026年7月2日

【もっと行徳】市川の大切な文化財「常夜灯」

行徳新聞
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地域を見守って200年超

散歩やジョギングをしたり、土手に腰かけてのんびり川を眺めたり、お弁当を広げたり。
本行徳の地先、旧江戸川沿いにある常夜灯公園は、多くの人から親しまれている場所だ。
名前が表す通り、公園のシンボルは常夜灯。
今回は、行徳の歴史を知るうえで欠かせない常夜灯を紹介する。

市有形文化財第1号に指定

常夜灯とは、夜通しつけておくための小さな明かりのこと。
江戸時代のころから神社や寺院の境内で灯す灯篭として使われ始め、その後、
街道沿いで旅人の安全を守る道標として、また港町では船の目印(灯台の役割)として
設置されるようになったと言われている。

行徳の常夜灯は、1812年(文化9年)、江戸日本橋西河岸と蔵屋敷の成田山にお参りする
講中(同じ信仰・目的を持つメンバーの集まり)の人々が航路安全を祈願して建てたもの。
高さ4.31mの石造りで、側面には協力した人々の名前が刻まれている。
現在も22人の名前を読むことができる。
「かつて常夜灯は2~3基あったという説もありますが、文献での記載はなく、
真偽は不明です」と、行徳郷土文化懇話会の峰崎会長は話す。

常夜灯はその後、旧江戸川堤防拡張工事のため1970年(昭和45年)に位置の移動を余儀なく
されたり、袴腰(四角錐台)の上に設置されたりしたこともあった。
2009年(平成21年)12月12日の常夜灯公園オープンに伴い、常夜灯は免震装置を施しリニューアル。
現在の場所である公園内に設置され、より安全に親しむことができるようになった。
常夜灯は1960年(昭和35年)10月7日に市川市の有形文化財の第1号に指定されている。

行徳の水運の歴史

江戸と行徳を行き交う船の運航が始まったのは1632年(寛永9年)のこと。
航路の独占権を得た本行徳村は河岸を設置し、船は毎日、現在の時刻で午前6時から午後6時まで
運航されていた。
この船は一般に「行徳船」と呼ばれ、江戸川を下り、新川・小名木川を経由して、
日本橋小網町まで約12.6kmを就航。幕府公認の独占的な航路だった。現在の常夜灯周辺は新河岸と呼ばれ、古い文献によると、1690年(元禄3年)に船場として整備されたと推察されている。
航行が始まった当初は16艘ほどだった行徳船も、1661年(寛文元年)には53艘、1848~1853年(嘉永年間)には62艘となり、新河岸は船を利用して成田山を参詣する旅人など、行徳経由の道を往来する人々で大変にぎわっていたようだ。なお、常夜灯の火の管理は「近くにある船会所や当時12軒あった旅籠の人々が担っていたと考えられています」(峰崎さん)。
江戸後期の画家で思想家の渡辺崋山の『四州真景図巻』(1825年)や、江戸と近郊のガイドブックともいえる『江戸名所図会』(1836年)などの絵画には当時の周辺の様子と常夜灯が描かれており、常夜灯は設置後、江戸川を行き交う船や人々にとって大切な目印の役割を果たしていたことがうかがえる。

行徳郷土文化懇話会では、常夜灯公園でイベントを開催する。
「7月4日(土)に『水辺で乾杯』というイベントを行います。
水辺の活用とともに行徳の歴史に少し触れていただければ幸いです」
200年以上、この地で人々を見守ってきた常夜灯。改めて見上げてみてはいかがだろうか。

水辺で乾杯

日程7月4日(土)
時間19:07乾杯(集合は30分ほど前)
場所常夜灯公園集合
※飲み物持参、青いものを身に着けて参加を
問い合わせgyoubunkon@gmail.com/行徳郷土文化懇話会

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