3年に1度行われる「五ケ町の祭礼」が、10月10日(土)の宵宮と11日(日)の本祭りの2日間、開催される。江戸時代から続く歴史あるこの祭礼について、改めて紹介する。
宮神輿の台輪寸法は行徳最大
「五ケ町の祭礼」は、江戸時代に行徳の中心だった本行徳1丁目、2丁目、3丁目、4丁目と本塩の5つの町の祭礼だ。本行徳1~4丁目は旧住居表示で、現在は合わせて本行徳になっている。祭礼では、この5つの町共有の宮神輿を各町が担ぎつないでいく。
代々引き継がれていた宮神輿は、大正13年に14代浅子周慶によって新たな姿に作られ、昭和31年には15代浅子周慶がこれに大修理を施し、今の形状になった。
台輪寸法5尺7寸(約170㎝)は行徳最大。これを横棒なしの担ぎ棒2本で水平を保ちながら揉むのは非常に難しいのだが、もみ手(五ケ町では担ぎ手ではなく、もみ手と呼ぶ)の人数は男性24人と厳格に定められている。
もみ手の衣装は白装束で、掛け声は「わっしょい」。渡御のはじめや途中には「差し」や「地すり」「放り受け」など激しい「行徳揉み」を披露し、祭りを盛り上げる。
「江戸時代の神輿渡御は揉まずに厳かに行われていたようです。その後、塩田や稲作に従事する人々への慰安や、万年豊作への祈り・感謝の思いから神輿を揉むようになったと考えられます」と、行徳郷土文化懇話会の峰崎会長は話す。
名誉ある「白丁」の役割
本祭りは早朝から始まる。
「宮元」と呼ばれる五ケ町の総鎮守である神明社で、触れ太鼓と神前の儀式が執り行われる。御霊遷式を終えると、まずは本行徳の隣町である下新宿神社へ「白丁(はくちょう)」による早朝渡御が行われる。この渡御がなぜ行われるのか確かなことは不明だが、初代の神輿が下新宿から五ケ町へ譲られたものだったことへの礼を尽くすためだとも伝えられている。
白丁とは、町から町へ神輿が引き渡される際に引き継ぎの役割を担う役職のことで、各町から8~10人が選出される。各町のもみ手は神輿を担いだまま次の町の地境を越えることができないため、白丁が神輿を引き継ぐ。神輿の先導など重要な神事も担っており、名誉ある役職だ。
神輿をめぐる熱い攻防
白丁による早朝渡御のあとは、もみ手たちによる各町の町内渡御がスタート。本行徳1丁目から2丁目、3丁目、4丁目、本塩と順番に神輿を担ぎつなぐ。
各町の地境では「神輿を次の町へ渡せ」という役員と「もっと揉ませろ」というもみ手が攻防を繰り広げる。また、引き渡されるごとに神輿渡しの神事が行われるのも特徴だ。
熱いせめぎ合いは、本塩の豊受神社への宮入り時にクライマックスを迎える。そして神輿はその後、静かに宮元に戻り、御霊を還して3年に1度の祭りは幕を下ろす。
「五ケ町の祭礼は神事に始まり神事に終わるのが特徴。放り受けでは神輿の鳳凰が空を飛んでいるような様を見ることができ、ビジュアル面でも楽しんでいただけます。長い年月を経て、他にはない神事的儀式を守りながらも少しずつ姿を変えて今の形になった五ケ町の祭礼を、ぜひ見に来ていただきたいと思います」
■「五ケ町の祭礼」本祭り
▽10月11日(日)
▽AM4~御霊遷式・出御の儀、AM6~1丁目渡御、AM8~2丁目渡御、AM10~3丁目渡御、正午~4丁目渡御、PM2:40~本塩渡御、PM7~御霊納式・還御の儀
▽神明社(本行徳1-10)










