塩浜や塩焼などの地名からも分かるように、かつて塩の産地だった行徳。現在は製塩業は行われていないが、地元の漁師で海苔店を営む福田武司さんが、昨年から塩づくりに挑戦中だ。「行徳の塩」ができるまでの道のりを聞いた。
歴史ある行徳の塩づくり
行徳の製塩業の歴史は古く、1000年以上前には塩づくりが行われていたという。江戸時代に入ると徳川家康が行徳の塩業を重視し、行徳を直轄領として治めるまでになった。家康は塩を江戸まで運ぶために運河の整備も行い、これにより行徳の水運業も大いに発展した。
しかし明治27年に総武鉄道が開通すると水運業は勢いを失い、塩業も次第に衰退。製塩の中心は船橋へと移っていった。そして大正6年、大津波の発生により塩田はほとんどが壊滅。その後、再起することができず、塩業は行徳から姿を消すこととなった。
行徳式の製塩方法で成功
祖父が田畑のほかに塩づくりもしていたという話を父から聞いていたという福田さん。
「20年ほど前、文献を参照して行徳方式に挑戦したのですが、砂をろ過させる方法がわからず、沖縄の『流下式』を試したところ、200ℓの海水から200gしかできず時間と労力がかかるため断念しました」
再び塩づくりを始めるきっかけは、昨年のイベントで有志が作ったご当地ハイボール『ソルトビーチ(塩浜)ハイボール』との出合いだった。レモンやハチミツは市川産を使用していたが、グラスのふちにつける塩は勝浦産。そこで福田さんの塩づくりへの思いが再燃した。
20年前に読んだ文献にあった100年前の行徳塩田方式「入浜式」なら、海苔の道具を用いてろ過させることができるのではないか。せっかくならばと思い、昨年6月、塩づくりに着手。
船で沖へ出て、潮が引いたときに海底があらわれるところから砂を運ぶ。砂は1m×50cmほどのバットに入れ、水洗い・乾燥させる。そこへ水の流れの良いところから汲んできた海水を撒き、蒸発させる工程を3回繰り返す。出来上がった濃い海水を鉄鍋で1日炊けば、塩の出来上がりだ。
「最初はコツがつかめず100ℓの海水から300g、2回目は120ℓの海水から約1㎏の塩が作れました」

行徳の塩の未来は?
塩づくりは漁港で、海水を漉すときは海苔づくりでも使うフィルター、釜炊きに使うのは自宅の枯れ木と、費用をほぼかけずに100%手作りしている福田さんの「行徳の塩」。味の感想を聞くと「うまい!」と笑顔。「季節によって味が異なり、夏場はまろやかで、冬の塩は塩味が強い。冬場は雨が少なくて塩分が濃く、プランクトンが少ないなど、海水の質が関わっているのだと思います」
しかし、食品分析検査などはまだ受けていないため、食べることはできない。「あくまでも自己責任で自分と仲間が口にしています」
この塩や、塩づくりに関する情報を漁港の朝市で紹介したところ、田中甲市川市長の目にとまり、イベントへの協力を要請された。福田さんの塩は先月開催の「行徳・南行徳 市川市と共に歩んで70年 記念講演会」で参加者へのお土産として配布された。映像で塩づくりの様子も紹介されたので、地元産の塩に興味を持った人も多いだろう。しかし製塩が行徳の産業として復活する日が来るのか、まだ未来のことは分からないと、福田さん。
しばらくは福田さん1人で塩づくりをしながら、仲間と楽しむ日々が続きそうだ。


(参照:市川市教育委員会「市川の散歩道~行徳塩浜のみちを歩く」)
写真提供:市川市








